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2014年8月26日(火)~28日(木)
ゼミ合宿課題「自発的隷従論」
3年 山田果歩

『自発的隷従論』エティエンヌ・ド・ラ・ボエシ著、西谷修監修、山上浩嗣翻訳
ちくま学芸文庫、2013年11月

<本文>

君主に服従すること = 「不幸の極み」
 :その君主が善人であるとは限らず、またいつでも悪人になれるから
  ※複数の君主を持つ場合、その危険性は増す
Q.ではなぜ多くの人、村、国、集団が一人の権力者に従うのか?
 「その者の力は人々がみずから与えている力にほかならない」
 「その者が人々を害することができるのは、みながそれを好んで耐えているから」
 ☆なにか巨大な力に強制されているわけではない!

本来人間は集団となり共に生き、悪人を退け善人を立てるべきである
 →にも関わらず多くの人間が卑しい権力者に虐げられ、それを受け入れている!
  「服従ではなく隷従」「統治されているのではなく圧政のもとに置かれている」
Q.これは臆病によるものか?でなければいったいどんな悪徳か?
A.これこそが「自発的隷従」

人々に勇気を与えるものは「支配に対する自由の、征服欲に対する自立への欲求」
人々が圧制者を打ち負かそうとすれば、「国民が隷従に合意しないかぎり、その者はみずから破滅するのだ」
 =民衆自身が抑圧されるがままになり、さらには自らを抑圧させている
自由を得るため必要なのは「ただそれを欲しさえすればよい」のに、人々は求めない
 →さらに圧制者が暴虐を尽くすほど人々の隷従の度合いも増す
  ※年月は決して圧政に正当性を与えはしない
人々はもはや判断力を失い、不幸を不幸とも感じていない致命的な状態である
「もう隷従はしないと決意せよ」
Q.欲すだけで得られるからこそ、人々は自由を希求しないのか?

Q.なぜ、どのようにこの「隷従への意志」が人々に根付いたのか
我々人間は自然状態においては自由であり、良い環境にいれば理性的に育つ
そして、自然状態では人間の間に上下はなく、自由は保護され、隷従という地位はない
 ※動物は死の危機に抵抗し、捕らえれば苦しみ、隷従に甘んじることはない
  →全ての存在は自由を追い求め隷従に慣れない

圧制者の三種類
 ・民間選挙によって選ばれる:「偉大さ」に得意になり、地位にしがみつく
 ・武力によって選ばれる:征服地にいることがはっきりとわかるように振る舞う
 ・家系の相続によって選ばれる:民衆を受け継いだ奴隷とみなす
→三種には差異はあるが、みな人々を下位の者として扱う

<自発的隷従の第一の要因>
人間は自然状態では自由を求める
 →隷従させられる前に
   ・強制されるか:外国の軍隊、内乱
   ・だまされるか:主に自分自身に騙される(その場の危険に対処するためなど)
             「自由を失ったのではなく隷従状態を勝ち得たと言いたくなるほど」
  の状況に置かれる
 →目覚めることはなく、子や孫までみな隷従し続ける(これを自然と思い込む)
  ☆習慣は隷従を教えることにもっとも大きな効力を発する =人間の自然
   習慣は自然に勝り人々をつくりあげつづける
隷従させられた社会に生まれたものと、自由な社会に生まれたものは違う
 「人は手にしたことがない物の喪失を嘆くことはけっしてない」
人間にとっては、教育・習慣によって身につくものこそが自然
 人々は生まれつき隷従していて、隷従するように躾けられる
  →習慣こそが自発的隷従の第一の要因

<自発的隷従の第二の要因>
圧制者のもとでは、人々は臆病で女々しくなりやすく、勇敢さを失う

<圧政者の詐術>
圧制者が人々を隷従させ飼いならす方法はいくつもある
 ・娯楽(芝居、賭博、見世物、剣闘士、珍獣、絵画、娼館など)
 ・饗応
 ・称号(後ろ盾としての称号)
 ・自己演出(神秘性により威厳を高める)
 ・宗教心の利用
・フランス王の場合:蟇蛙、百合の花、聖瓶、旗
圧制者たちは地位の保全のため、様々な策を練り民衆を隷従させてきた
 →人々をより自発的な隷従へと向かわせる方法は愚かな民衆にしか通用しない
<小圧制者>
王が生まれるとすぐにその周りに卑しい者が集まり、小圧制者となる
 =圧制者に近づくことは自らの自由から遠ざかることである
 →けれども、圧制者の愛は一時的なものであり、互いに信頼することはない
「圧制者とは決して愛されることも愛することもない」
 →民衆も皆圧制者を愛することはない
圧制者とそこから利益を吸い取ろうとする者の連鎖が支配体制を作り上げる
 →これが「自発的隷従」のあり方
 →圧制者が神の国で正しく罰せられることを祈ろう

<解説>

四世紀以上前のフランスの若者の論文から、現在の日本の支配秩序構造を読み解くことができる
この書の持つ「真理」は人々の目を「目覚めさせ」てきた
この論文のポイント:
 「圧政が支配者自身のもつ力によってではなく、むしろ支配に自ら服する者たちの下端によって支えられると論じた点」
この「自発的隷従」が「ひとつの支配秩序が支えられ永続化されることの構造的な秘密」
 →二十世紀の全体主義的秩序の批判的解明に示唆を与えた
  世界戦争以後のグローバル秩序における超国家的支配関係のからくりを解いた
 ※日本とアメリカの「同盟関係」「従属関係」の構造を考える上で有用
   →我々は「親米」の環境に生まれ、育てられた → 「親米」を疑わない

「自発的隷従」構造は人間の生活、存在の様々なシーンで見られる
 →人間が言葉によって規範される存在であることが起因の一つ?

<まとめ>

 圧政は圧制者自身の強大な力ではなく、人々が自ら服従することにより生み出された。
 このシステムは時を経て私たちの生活に埋め込まれ、もはや生来のものとなり気付くことさえ難しい。
# by m-seminar | 2014-08-26 00:45 | レジュメ(平成26年度入ゼミ生)
2014年8月26日(火)~28日(木)
ゼミ合宿課題「ヒマワリ運動 レジュメ」
3年 山田果歩

 ヒマワリ運動(太陽花學運、318學運)は、2014年3月に台北市内立法院で起こった台湾学生による立法院占居から始まった社会運動である。
 台中両岸のサービス分野の市場開放を目指す「サービス貿易協定」に対する反対デモ運動から始まった。

<時系列>
2014年
3月17日 サービス貿易協定の批准に向けた審議が立法院で行われた
        →与野党は激しく言い争い、審議は遅々として進まなかった
        →「時間切れ」を理由に与党は一方的に審議を打ち切った
        →このことが民衆に大きな非難を抱かせた
3月18日 夕方、サービス貿易協定の反対デモが行われた
        →夜9時にデモに参加した学生約300名が立法院議場内に侵入、占拠
        →「318青年佔領立法院,反對黑箱服貿行動宣言」を掲げ、サービス貿易協定の再審査を要求
        →学生代表林飛帆は与党・政府に3つの条件を提示
          1. 我們代表人民奪回立院
          2. 我們歡迎在野黨朋友加入人民行動
          3. 我們要求馬政府、總統馬英九立刻親自到國會回應人民訴求
        →3月21日までの占拠を表明
3月23日 学生の一部が行政院にも突入
3月24日 未明に行政院に警察が動員され、学生は排除、逮捕された
3月25日 総統馬英九と学生側の会談が計画されたが、条件が折り合わず中止
3月27日 学生側は記者会見で、無期限の立法院占拠を宣言
3月29日 馬英九は、台中間での協定に立法院などによる監督権限を定めた法令を制定する考えを表明。
       しかし、協定そのものの撤回は否定している
3月30日 学生側は総統府周辺で抗議集会を開いた
       (規模は主催者発表で50万人、警察発表では11万6000人)
4月4日  両岸協議監督条例(学生らの要求していた立法院などの監視機能を定めた法令案)が行政院で決定
       →学生側はさらなる制度及びサービス貿易協定の見直しを要求、占拠を続ける
        ※世論調査では立法院からの退去の声が占拠継続支持を上回った
4月6日 立法院王金平院長は学生側の要求に応じた
          ・「両岸協議監督条例」が法制化されるまで、サービス貿易協定の審議を停止
          ・学生の撤退を呼びかけ
         →学生側は「任務を達成した」として10日の議場退去を発表
4月10日 学生の大部分が立法院議場から退去した

<原因・目的>
直接の要因は与党による中台サービス貿易協定の強行批准
・この学生運動が起こるまでに、いくつもの政治社会運動が台湾で行われていた
 ・2012年9月1日「反メディア独占運動」
  :旺旺中時メディア集団によるケーブルテレビ中嘉網路の買収合併に反対するデモ
 ・2013年9月29日 馬英九総統批判デモ
  :王金平立法院長の司法介入疑惑に対する馬総統の態度に批判が集まり、市民デモ
 ・2013年7月20日、8月3日「白衫軍運動」
  :洪仲丘事件の真相解明、軍の改革、馬英九辞任などを求めた大規模デモ
民衆の政治意識、馬英九政権への不満、政治的自立心は高まっていた
・学生の指導者林飛帆:一連の抗議活動を「台湾の民主主義を救うためだ」と説明している(毎日新聞とのインタビュー)

<運動の効果と影響>
・3月24日台湾テレビ局TVBSが行った世論調査では、学生たちの行動に市民の51%が賛成し、サービス貿易協定に対しては68%が反対を表明した
・中華人民共和国国務院は、サービス貿易協定批准を妨げるヒマワリ運動に対し不快感を示し、中台関係の悪化の可能性を述べ批判した
・3月30日のデモは大きな影響を呼び、香港ではこのデモに呼応し市民約800名がヒマワリ運動支持のデモを行った
・反対運動も当然あった。4月1日には、中華統一促進党首など中台統一を主張する団体約1500人が立法院前に集まり、サービス貿易協定の賛成を訴え、立法院侵入を試みた
・サービス貿易協定に対する市民調査(TVBS調査参照)
 2013年10月28日 支持:32% 不支持:43% どちらでもない:26%
 2014年3月21日  支持:21% 不支持:48% どちらでもない:31%
 2014年3月31日  支持:35% 不支持:42% どちらでもない:23%
 2014年4月3日   支持:30% 不支持:43% どちらでもない:27%
 2014年4月8日   支持:32% 不支持:38% どちらでもない:30%
・馬英九総統の就任以来の満足度調査の推移(TVBS調査参照)
 2012年3月12日~13日 満足:28% 不満足:50% どちらでもない:22%
 2013年1月30日~31日 満足:14% 不満足:66% どちらでもない:21%
 2013年5月15日~16日 満足:14% 不満足:70% どちらでもない:17%
 2013年7月29日      満足:13% 不満足:64% どちらでもない:23%
 2014年4月29日~30日 満足:13% 不満足:71% どちらでもない:16%

<まとめ>
 当時の記事で、馬英九総統の支持率が11%に低下という記事を見て、非常に低いと感じていたが、今回相当就任以来の支持率の推移を見てあまりに低くて驚いた。少なくとも馬英九総統への批判は今回のサービス貿易協定の強行批准が問題ではない。
 ヒマワリ運動を通して社会にサービス貿易協定の存在とそのメリット・デメリットが広く知れ渡り、台湾の市民それぞれがこの協定に関して考える機会を持ったはずにも関わらず市民調査では「支持」「不支持」の割合には大きな差は生まれず、「どちらでもない」が運動の最後までおよそ3分の1いたことがとても不思議に感じた。この協定がメリット・デメリットともに大きすぎることが要因だろうか?

<参考>
1.『台湾・ひまわり学生運動』(公式ホームページ日本語版)
 2014年8月22日閲覧
 http://himawariundo.wix.com/himawariundo
2.「馬總統滿意度民調(美牛、禽流感爭議)」『TVBS民意調査中心』
 2012年3月13日更新、2014年8月22日閲覧
http://home.tvbs.com.tw/static/FILE_DB/PCH/201203/jsh71y1ch9.pdf
3.「馬總統連任八個-滿意度民調 (含陳揆滿意度)」『TVBS民意調査中心』
2013年1月31日更新、2014年8月22日閲覧
http://home.tvbs.com.tw/static/FILE_DB/PCH/201309/20130916153710962.pdf
4.「馬總統滿意度與菲律賓槍殺漁民事件民調」『TVBS民意調査中心』
2013年5月16日更新、2014年8月22日閲覧
http://home.tvbs.com.tw/static/FILE_DB/PCH/201309/20130916144038487.pdf 
5.「馬總統滿意度及內閣改組民調」『TVBS民意調査中心』
2013年7月29日更新、2014年8月22日閲覧
 http://home.tvbs.com.tw/static/FILE_DB/PCH/201309/20130916140535713.pdf
6. 「國內主要政治人物聲望調查」『TVBS民意調査中心』
2014年4月30日更新、2014年8月22日閲覧
http://home.tvbs.com.tw/static/FILE_DB/PCH/201405/20140506163407994.pdf
7. 「學生宣佈退出立法院議場服貿民調」『TVBS民意調査中心』
2014年4月8日更新、2014年8月22日閲覧
 http://home.tvbs.com.tw/static/FILE_DB/PCH/201404/2014041009304606.pdf
8. 「台湾で決裂…馬英九総統と王金平議長、同じ国民党の「なぜ?」」
 『exciteニュース』、サーチナ配信
2013年9月14日更新、2014年8月22日閲覧
http://www.excite.co.jp/News/chn_soc/20130911/Searchina_20130911035.html
# by m-seminar | 2014-08-26 00:44 | レジュメ(平成26年度入ゼミ生)
 (二)台湾前途の各種方案 
1946年初め、混乱した社会の中、民間メディアは必死に台湾の自治、民主化に向け民衆を鼓舞した
 ※これも1920年代『台湾民報』が行った呼応と同様であった
外省人は権力を得て成り上がり、もはや同胞ではなく別の共同体となり、「我々」との区別がされた
 ・王白淵・蘇新:政治の民主化は当面の問題を解決する主要な方法であり、政治が先決条件として、必ず民主主義に向かう路線を推し進め、民衆の民主意識を高めなければならない
 ・王添灯:民衆の組織力の重要性を強調、現在主権関係が反対になっていると指摘
これらの主張は中国共産党の人民民主路線の傾向に呼応し、広範な民主政治の意味を現した

・廖文毅の「連省自治」主張
 :1946年8 月国民参政員選挙の立候補者廖文毅は、「朕省自治」(憲政の実施、地方分権、台湾人による台湾自治)を主張
  →これに対し政府側は『台湾新生報』上などで、独立心があり共産党的でさえあると批判
  →廖文毅は選挙に敗れたが、林献堂の反応を呼び、林は蓮省自治を擁護
1947年1月1日中華民国憲法公布
 →廖文毅は地方自治権が脆弱であると批判、台湾人による台湾自治を求める

・謝南光(謝春木)の「行憲自治」案
1946年9月帰台した謝は、民衆の選挙権行使による民主政治こそが台湾政治の進歩のもとであり、選挙により腐敗や汚職、不平等を取り覗くことができると主張、台湾民衆を鼓舞
  →『民報』社論もこれに呼応した

・廖文奎らが提出した「台湾自決」「独立主張」
廖文奎は台湾が国際社会において軽視され無視されていると嘆いた

二二八事件以前には中華民国の支配に抵抗する声があり、政治的団結の兆しが見られた
 →光復後、中国化への厳しい圧迫があった
 →これはかつての日本の皇民化と変わらない(cf.集会での圧迫、暴言)

☆台湾人の視点から見た戦後台湾の状況
・異民族日本の厳しい統治下では、同族同種の祖国光復(=植民地支配からの解放)を臨んだ
 →台湾は他の植民地と違い「脱植民地」化できず、「再植民地」化された

☆台湾ナショナリズムについての筆者総括:
戦後初期、台湾人は中国を祖国とみなし解放を期待した ※独立は求めず事大主義
 ・文化面:中国は同文同種
 ・同族統治により支配から解放され自治を得る
→しかし、光復後すぐに台湾人は中華民国政府に失望
 政治的従属と文化汚名化という同族による再殖民地統治を受けた
   ・政治面:支配者が変わっただけで統治構造は日本統治下と変わらない
     人事任用や憲法施行問題で差別があった(国語国文能力を問題とした)
   ・文化面:社会発展レベルの違いのために深刻な摩擦が生じた
     「奴隷化論」を用い日本化、精神汚染を非難し、中国化を強要
      →台湾人の日本化だけでなく精神的根本を非難
→尊厳と権利を害された台湾人は、自己肯定のために「外省人」と「本省人」を区別、新たなアイデンティティを生み出しさせた
台湾民衆は「統治者」に頼ることのない政治、生活を目指し自立意識を芽生えさせた

☆「日本統治近代化論」=「奴隷化論」に対して生み出された相対的な理論
  :光復後の権利の圧迫と辱めにより祖国中国への期待を失う
   →過去の遺産と台湾の前途を分析し、植民地化された経験を卑下せず捉えた
    ex.日本統治期の文化運動
   →日本統治期への一定の「評価」へと繋がった

ナショナルアイデンティティは決して不動の感情ではなく環境・歴史の変動・グループの自己概念の転移・追求する共同目標の改変などにしたがって絶えず再構成・調整され変化する
 →台湾人の戦後のアイデンティティの動き

1946年以降、台湾人は各種の自治要求を提出
 →二二八事件で残酷な結末を迎える
 →一部の台湾人は共産主義へと転換、台湾ナショナリズムが形成される
1949年、国民党は国共内戦に敗戦、台湾島へと移る
 →圧迫は更に厳しさを増した(ex.白色テロ)
 →独立運動は海外及び地下へと潜り、90年代まで台湾内では公にできなかった

<まとめ>
台湾人は日本統治下で、日本の圧迫により祖国中国の統治に解放への希望を抱いた
 →しかし中華民国政府は支配構造を引き継ぎ、台湾人を圧迫、民衆は民国政府に絶望
 →台湾人は日本人でも漢民族でもない「我々」の存在に活路を見出し、新たな「台湾人」アイデンティティを生み出した
 →そのことが二二八事件、そしてその後90年代に実を結ぶ自立自治へとつながっていく
# by m-seminar | 2014-08-26 00:43 | レジュメ(平成26年度入ゼミ生)
2014年8月26日(火)~28日(木)
ゼミ合宿課題
「第八章 戦後初期台湾人の祖国体験とアイデンティティの転変」
『台湾人の抵抗とアイデンティティ』陳翠蓮、2008年8月、遠流出版
3年 山田果歩


<要約>

1.序文

1945年9月2日、日本が投降文書に調印
 →アメリカ軍戦略情報チーム(SSU)が台湾に入り、日本総督府、日本軍政官台湾民衆、台湾エリートらを訪問、日本の関連情報についてインタビュー
 →1946年1月1日「フォルモサレポート」として提出
  ※対象はエリート層に限られていたが、当時の民意をかなり反映していた
・台湾エリートたちの共通する見解
  1.中国の一省となることを希望、ただし植民地化ではなく台湾人自治によるべき
  2.台湾人は同文同種の祖国中国に忠誠を尽くす。
    一方ではアメリカ、イギリス等その他の国との文化的違いを強調。
    これは台湾の国際上の発言権の維持のためでもある
  3.全ての日本人の返還を希望
・台湾前途の問題に関するエリートの回答
  1.政治上では中国統治に同意だが、植民地統治でなく自治を求める
  2.文化上では台湾と中国は同文同種でありその他の国との文化差異を強調した
  3.台湾帰属問題に対する利益の考慮と理性的選択に基づいた事大主義的傾向
   (事大主義=支配的で強大な勢力に迎合し自己保身を図る傾向)
戦後初期台湾人は中国の統治を待つ客体意識だけでなく自治を求める主体意識を持っていた
 中国に帰属することは、大国に帰属し国際社会での地位を維持し高めるツールであった

日本統治中期意向、反植民運動を通じて台湾人に政治的・文化的な追究目標が確立
 政治的目標:植民地統治に反対、台湾全島の台湾人自治
 文化的目標:台湾文化協会と『台湾民報』により、台湾人の主体意識が喚起され、近代文明社会の建設の主張が広まった。

戦後、中国による統治が開始。台湾人は祖国の統治を熱烈に歓迎した
 →しかし台湾人の希望はすぐに潰え、わずか1年4ヶ月後に台湾全土で抵抗運動が爆発
この短期間に台湾人はどのような祖国体験をしたのか、どのような衝撃を受けたのか

「文化衝突論」:黄富三、李𦱿峰が前後して出した戦後現象の解釈
 (黃富三「日治經驗與戰後臺灣的文化衝突」,『光復後臺灣地區發展經驗研討會』,1990年6月)
 ・戦後の台湾でエスニックグループの衝突と二二八事件が起きた主な原因
   =近代台湾と前近代中国の文化的差異
   →日本統治下で台湾は既に近代化し、前近代中国よりも発展していた
筆者の考え:「日本統治近代化論」は戦後の台湾人が政府側の「台湾人奴隷化論」に反撃するために
        生まれた集団自己防衛論で未だ不完全
戦後の中国政府が台湾住民に対して進めた再植民統治こそが、台湾人の祖国への歓迎を反抗とアイデンティティの転換へと向かわせた主要因
 
植民、再植民とはなにか
 ・日本統治期の植民地政策学者矢内原忠雄、山本美越乃:
  「植民とは一つの社会群体が別の新しい地区に移動し、経済と社会活動に従事することではなく、さらに重要な条件は殖民母国と殖民地の間に1種の政治上の従属関係が出来上がるというものだ」
 ・近年のポストコロニアリズム研究:
  殖民主義の権力関係とは政治宰制上、身体的な支配様式ではなく、文化上で形成された「殖民者は優越で高級、被殖民者は低劣で低俗だ」という知識体系など、作り出されたイデオロギーの下で被殖民者の自我認知を徹底的に滅ぼしているもの 
 ・Frantz fanon、Edward W.said:
  こうした被統治者による政治上においての従属化、文化上での汚名化を加える権力支配形態こそが植民統治

第二次世界大戦後、多くのアジア・アフリカ被植民地が帝国統治から離脱
 →異民族統治の多くは終結。だが、植民地独立は保証されなかった
  ナショナルエリートは帝国主義ナショナリズムを模倣、その地位を踏襲し、統治構造が変わることはなかった
戦後の台湾は異民族による統治は終わったが植民地構造は決して変わっていない
 →同族同胞による「再植民地」統治化

戦後の政府の行為と民間世論を焦点として、政治と文化両面から戦後初期の統治関係と民心の変化を検討する

1945年10月10日 台湾戦後初の国慶節(『民報』で「史上最もめでたい光景」と称された)
10月16日 国民政府七十軍が福建から台湾に到着
10月24日 陳儀が上海から台北に到着(台北市民は熱烈に歓迎)
        到着翌日、『民報』社論で台湾の人材を登用、祖国の教員を招き国語教育を行う、治安維持の指導を行うと表明
        →しかし民衆はすぐに落胆することになる

発表された人事の中で台湾籍の者はわずか六名
 ・行政長官公署一級機関の18人の正首長副首長のうち教育部副部長の宋斐如
 ・公署の各機関の16人の主管者のうち王耀東、陳尚文
 ・17人の県市長の中で台北市長の黄朝琴、新竹県長の劉啓光、高雄県長の謝東閔
  ※6人の台湾人士は本土の医者である王耀東以外は重慶から台湾へ返った半山人士
 ・さらに長官公署の接収工作では多くの日本人が留用された
政府は、台湾人が政治能力に欠け人材が乏しいとして任用しなかった
長官公署人事室の統計では、日本統治期において台湾各機関の高階級、或いは重要職は完全に日本人によって充当されていた(委任官以上の役職に着いた台湾人は公務員全体のわずか7.35%)
また、台湾人は国語が話せない、中国語が書けない、公文プロセスを熟知していない等の理由で任用を拒まれた

国語教育の推進
 ・1945年12月31日に陳儀はラジオ講話で、翌年度の台湾民衆に対する中心的プロジェクトを、中国言語文学と中華民国の歴史理解であると述べた
 ・1946年10月の台中巡視の際の談話では、祖国の言葉、法律、歴史を学ぶことで「良い国民になる」と発言
 ・11月20日の台北賓館の記者招待会でも、人の建設、中国の台湾の建設の必要を発言
 ・1926年2月、陳儀は国父記念週報告で、文官任用試験の日本語受験の要望に対し、国文の絶対性、重要性を強調
 ・1649年10月25日、接収1年後に新聞・雑誌の日本語版を排除
  cf.日本の新聞漢文版の廃止は、接収42年後の1937年
国民政府の厳しい言語政策は台湾民衆の転換の困難さを無視していて、同情と理解に欠けた。人事政策と台湾人の期待との間には大きなギャップがあり、世間は当局に対し疑問を持ち始めた

『民報』は率先して「本省民的起用問題」社論を発表
 日本統治下で臺灣の才能は埋もれてしまったが、光復により才能ある人々は起用を期待した。しかし、発表された人事には新しく抜擢された台湾人はほとんどみられない。さらには日本人が登用されている。これでは日本統治下と変わらない
 →台湾人人材の登用を促す
さらに続けて社論が発表される
 ・新台湾の建設に台湾をよく知る台湾人を登用する
 ・台湾に人材はおり、日本統治下で任用されず埋もれていただけである
 ・台湾人に機会を与えて協力させるべきである
 ・公署や重要機関の外省人の独占に対し台湾青年は不平を述べるべきである

1946年11月に発表された公務員人数統計資料
 ・全体の公務員39,802人中本省籍は24,714人、62.09%
 ・外省籍は7,940人、19.95%
 ・日本人は7,027人、17.65%
しかし、重要役職は外省人がほとんどを占め、台湾人の多くは下級官員
 ・行政長官、秘書長、各部の部長副部長及び主任秘書の21人中、台湾人は副部長1人
 ・長官公署各部課中、外省人850人中上級の官僚、台湾人425人の多くは最下級事務員
メディアは、台湾人が国語国文に通じていないことを言い訳に身内を贔屓、汚職していると非難

1947年1月、李萬居「台湾は政治要員が不足しており、同胞が謙虚に学ぶことを望む」
 →『民報』社論の反論:
「政治要員」とは?政治学修得者が足りないと思い込んでいるのか?あるいは、外省人のように汚いやり方を取ることを知らないからか?こうした政治人材は台湾人にはいないから仕方がない
『台湾新生報』上で台湾の人材不足を指摘した半山人士も少なくない
 →世論はこれを権力への擦り寄りと避難
権力者側の持つ「民可使由之不可使知之」という根本思想がもとにある
 「民には人材がなく、学習が必要で、そのために私たちが支配する!」
人事人用の差別的現象は社会の深刻な不満を作り出し、台湾人はすでに中国の再植民地の対象になっていると考えた

(二)漢奸裁判と公権の停止

台湾統治当局は複数回に及び日本統治期の台湾人の行為を追及、中国政府に対する忠誠度を検査した

1945年12月6日 国民政府は〈懲治漢奸条例〉を発布
            漢奸とする範囲を拡大、人民に密告を奨励し、全国各地一体に適用した
1946年1月16日 台湾省警備総司令部は陸軍総司令の何應欽の指示が発表される
             :1月16日から29日まで2週間、全省漢奸総検挙を行い、全省の民衆にあらゆる漢奸の告発を求めた
1月31日 警備総部は民衆が先を争って検挙した文件335件を受け取った
1946年3月 警備総司令部は辜振莆ら十数名の台湾籍紳士が独立を陰謀したとして、漢奸と指名。さらに百数十名が予備逮捕名簿に入れられた

・民間メディアは、日本統治下にあった台湾を大陸と同じく考えることは出来ず、当時の台湾民衆の苦しみや抵抗の努力を尊重すべきと説いた
 ・日本統治期に抗日運動に参加した葉榮鐘は、御用紳士は無差別に逮捕されたと語り、それを陳儀の「部下に対する威厳の誇示」のためだと指摘、御用紳士は積極的に社会を害したわけではないと擁護した
 ※御用紳士:日本の台湾統治に積極的に与した台湾人有力者
1946年1月 「省県市公職の立候補者に対する臨時検査許可実施方法」によって、部分的な人々の参政権を排除が企てられた
1946年9月3日 機関選挙が盛り上がった時期に「台湾省が公権を停止された人を登録すべき規則」を公布、公権停止範囲を広げた
 →民間メディアは、当時の御用紳士は反省し退くべきだが、政府には当時の台湾同胞への同情や理解が欠けていて時期も悪いと批判した
 →当時行われていた国民参政員選挙に影響した
この後も皇民奉公会参加者の調査が行われた

(三)結社権および参政権

戦後初期、台湾民衆間で自発的な組織がいくつも生まれた
 ・人民協会:1945年10月に成立、謝雪紅ら旧台湾共産党分子により発起され機関紙『人民公報』を発行
 ・農民協会:1945年10月20日に台中市で成立、日本統治期の農民組合幹部、簡吉らが中心。
         各地に支部をつくりすぐに会員は一万人以上に達した。
         翌月名称を台湾省総農会準備処と改称し、各地の分会も各地農会準備処と改称した
 ・台湾学生連盟:1945年10月、郭琇琮を中心とし台北の学生により成立
また、台湾政治経済研究会、政治研究会、台湾建設協進会、台灣政治同盟などが設立を計画された
 →国民党政府は国民党以外の団体組織は認めず、解体または三民主義青年団に合併された
1931年制定された「中華民国訓政時期約法」、1940年公布された「非常時期人民団体組織綱領」1940年8月の「非常時期党政機関督導人民団体法案」らの規定により、訓政時期中、人民団体は全ての国民党の指導を受ける必要があり、人民の結社自由は、大きな制限を受けた
 →しかし台湾民衆はこの中華民国の政策に反し団体を積極的に組織した
1945年11月「台湾省人民団体組織暫行辨法」が公布され、台湾の人民団体の調査整頓が進められた
 →1946年9月、政府指導を経て記録された人民団体は、台北市土木建築同業公会などの120の団体で、結成を許されず却下された人民団体は台湾省農会、台湾人民協会、台湾学生連盟など70団体
 ※政府側は、日本統治下の台湾人民間組織団体を「実際には政府側が主導した御用機関であり、台湾人は未だ民主化されていないと考えた

1946年12月、国民大会は憲法制定を完成、翌年1月に公布することとし、並びに民主憲政のプロセスの規定を明白にし、1947年末までには民主憲政を施行することを制定
 →1947年1月「台湾省地方自治3年計画方案」を公布したにも関わらず、台湾人が未だ民主化されていないとして民主憲政の日程を遅らせた
 →台湾政治建設協会は猛反発、台湾人はすでに近代化され地方自治の条件を備えていて、この遅延は憲法違反であると主張し、計画通りの憲政開始を求め広く活動
  1947年10月までに省級以下各級の民意機関及び県市長の民選を完成し、憲法執行前に地方自治を完成すること、憲法の実効を求めた
 →2月3日に「憲政遂行座談会」が開催され、出席者は台湾の近代化を改めて確認、憲政の開始を求めた

長官公署当局が、台湾人が未だ憲政を行う権利を擁していないと考えたため憲法が施行されなかった
 :国語国文を介さない台湾人を「国民精神と国家観念が欠如している」と決め付け圧迫、政治権利を剥奪する理由とした
☆・日本統治下で台湾人は植民当局と争い、議会自治を勝ち取った。陳儀政府はその努力と経験を無視、台湾を「征服」
台湾人の忠誠心を審査、政治忠誠が確認できないことを理由に憲法施行の権利を剥奪
  →統治者が変わっても統治構造は変わらず、台湾人自治は叶えられなかった


三、戦後初期の文化体験

戦後台湾では、政府側により絶えず「台湾人奴隷化論」が提出された
cf.1945年3月、「台湾接収計画要綱」が完成
 :民族意識の強化、奴隷思想の粛清、文化水準の高揚が必要

(一)「台湾人奴隷化」という非難
 
台湾到着後、陳儀は多くの公の場で台湾民衆の「中国化」の重要性と必要性を述べた
機関紙「台湾新生報」も絶えず「思想の毒素の粛清」、「民族精神の発揚」を掲げた
1946年5月1日『民報』が行政長官公署教育長范壽康の失言を報道
 :台湾人は独立・自治思想を抱いていて外省人工作員を排撃している
  台湾人は国民政府に非協力的で、完全に奴隷化している
 →台湾全土で大きな非難を引き起こした
 →しかし最終的には「国語の訛り、翻訳の誤り」を理由にうやむやにされた
また『台湾新生報』は日本統治下の台湾政策を、「日本の模倣、学習を強制し、大和民族の誇張と軍国主義称賛を刷り込み劣等感を生み出させ、台湾民衆の文化思想上に毒素をまき散らした」と批判した

「台湾人奴隷化論」には二つの層がある
 ・言語文字、生活習慣の「日本化」
 ・精神上の「皇民化」「奴隷化」
日本式の建築や生活様式、日本化用語、日本式地名を完全に排除しないことを以って奴隷化されていると非難した
 
→この「台湾人奴隷化論」に対し王白淵『台湾新正報』で「いわゆる〈奴隷化〉問題」を発表し、反撃した
 :日本統治下では「皇民化」、現在は「奴隷化」の文字が台湾民衆を苦しめている。台湾人は確かに日本化した部分があるが、それらは大きな問題ではない。「奴隷化」は本質的な問題であり、台湾民衆は常に苦しめられている。何をもって「奴隷化」を語り台湾同胞の自尊心を損なうのか。
 →また、王白淵は「外省人諸公に告ぐ」を発表
  :政府上層部を占める外省人はみな「台湾人奴隷化」を唱えるが、決して奴隷化していない。外省人は日本統治者と同様に「奴隷化」を盾に権力を独占している
 →王白淵に続きメディアが続々と論戦を展開した

『民報》記者呉濁流も、「台湾人奴隷化」の非難には政治的意図があり、「本省人は奴隷精神があるために祖国人士と同じような待遇ができず、それゆえ被統治者の地位に甘んじるしか無い」という意味があると考えた

(二)台湾人の性格を卑しめる

民衆からの批判や本省人登用要求に対し、政府には更にこのような言い訳を用意した
 ・国民政府は大局に着眼せねばならず、地方に偏って考えることは出来ない
 ・台湾人は浅はかにも他省の植民地になったと思い込んでいる。我々には外省同胞の指導による中国化が必要だ
陳儀もまた、台湾人の長短所をこう考えた
 長所:自治を重んじ、勇んで知識を求める
 短所:せっかちで気が小さく物事を受け入れられない
→『台湾新生報』はこれらを用い、本省人による外省人の人事独占批判を「日本化」した台湾人の浅はかさによるものだと非難した
☆日本統治と教育から台湾人の性格を推し量り考えて、台湾人の地域偏見、本位主義、国家観念の希薄さに帰結させ、「奴隷化の遺毒」を証明する形をとった

こうした非難に対し、台湾民衆はその心情を分析し、祖国への忠誠を表した
 :日本統治下でも台湾人は屈せず抵抗し、祖国への忠誠を抱き続けた。この民族精神は無罪とされるべきで、「奴隷化論」のもと圧迫されるべきではない

教育所長笵壽康は今後の教育方針の重要な点が「中国化」「祖国化」にあると指摘した
 :「中国化」の内在的構成要素は中国の典章制度や思想文化を学習するだけでなく、さらに習慣と性格を変えることにあった
「中国化」論では中国文化の優越性を強調すると同時に、三民主義の重要性を表している

1946年6月、半山人士は政府側と民間文化界と結合し、「台湾文化協進会」を構成した
 :目標は「日本奴隷化の有害な思想を取り除く」ということにあった
1946年10月27日、半山人士を主とする組織の「台湾建政協進会」が成立
 :「台湾新生祖国化運動」を起こし、「新生活運動」を遂行
 憲政協進会は「奴隷化」説に付和雷同し、台湾人に「祖国化」への努力を呼びかけた

☆祖国から来た統治者はただ異民族殖民地者の統治権力に取って代わるだけでなく、さらに文化上において祖国の優越性を強調した。それはかつて殖民地化されたことのある台湾人民と台湾文化を卑しめた。これは以前の殖民地帝国と異ならず、ただ「大和民族」が「中華民族」に変わっただけである

四、台湾の前途を改めて考える

1946年下半期、陳儀政府の統治失敗と社会危機により台湾社会は混乱に陥った
 →人々は現状に怒りと失望を感じ、翻って日本植民統治の遺産と功労・過失を検討し、また台湾文化構築と政治の前途に関する計画を考え始めた

一、日本統治遺産の総清算

1649年6月周憲文が「どのように台灣を見るか」を発表
 :中国統治に復帰した台灣は「中国化」すべきで、現状を受け止め、日本統治と比べて中国の遅れを批判すべきでない
→民間メディアはこの文章への反論を掲載
 『民報』社論:「中国化」はすなわち汚職化であり、以前として弊害は山積みで、汚職はさらに盛んになった
 『人民導報』社論:周憲文の説は悪党の肩をもつものに他ならない。
            「台湾の中国化が台湾の暗黒化、台湾の貧窮化、台湾の汚職化に過ぎないならば賛成出来ない」
 民衆の投書:「我々台湾は、中国中で良い方向へと変わるべきで、それは三民主義化、親愛誠意化、堅実実践化であり、官僚主義化や権利競争化ではない」
☆メディアは「中国性」を「汚職、強きを恐れ弱きを欺く、法を守らない、道理に従わない、衛生を理解しない、虚偽、齟齬などが風習となっている」と指摘した

政府側による台湾人文化の否定に台湾インテリは尊厳を傷つけられた
 →「私たち」と「他者」の差異化によるプライドとアイデンティティの再建を図る
  統治当局が、中国文化の優位性を宣称すればするほど、多くの台湾人が自己防衛でますます日本統治で経験した近代的特質を強調した

1946年9 月『新新』月刊社は「台湾文化の前途を語る」座談会を開催
 :参加者は社会の発展段階と文化特性の違いから、戦後現れた台湾文化と中国文化の衝突を解釈
  ・台湾文化の受けた日本式文化の影響は大きいが、同時に世界水準に達している
  ・台湾青年は日文を用い世界最高の文学、思想と接触でき、批判力と鑑賞力を手に入れた
  ・政府が発動した「中国化」政策は、国民党の統治下の文化と、日本の帝国主義下の文化はどちらも排他的文化だ
  ・戦後主張された台湾の中国化は台湾文化が既に世界最高レベルに達していた事を忘れていた。
座談会では今後の台湾文化の進路を、一方ではすでに国際レベルに達した世界文化を保存しかつさらにこれを推進発揚し、もう一方では、良好な中国文化への変化に努力すべきとした

『民報』社論:日本統治は経済の剥奪が目的だったが、台湾ではこれらの結果を生んだ
 1.台湾民衆の文化レベルを高めた
 2.台湾民衆に法治の訓練をさせた
 3.台湾民衆に近代工業社会の生活を経験させた(ex.法治体制)
→外省人が持ち込んだ前近代的封建主義は、法治国家となっていた台湾社会との間に摩擦を生んだ
1946年 10月『人民日報』は、高雄市警察局長童葆昭が地主の悪行を庇ったことを報道
11月、「員林血案」が発生、台湾各地で次々と「護法運動」が叫ばれた

日本統治経験は台湾民衆に近代社会生活の経験を与えたことが、光復後国民政府、軍との摩擦を生み出した
 →日本統治を経た台湾はすでに漢民族文化でもない日本式文化でもない、台湾文化を創りだしている
  中国に反対するだけでもなく日本統治経験に頼るだけでもなく、進歩し積極的に海外の様式を取り入れ成長するべきである
※こうした主張は1920年代「台湾民報」で政治運動家により発表されていたものと同じ
 →文化主張は過去の異族植民者への抵抗と同様、日本統治期に追求された目標と再合流した
# by m-seminar | 2014-08-26 00:40 | レジュメ(平成26年度入ゼミ生)
2014年8月26日(火)~28日(木)
ゼミ合宿課題「お気に入り紹介」
3年 山田果歩

<はじめに>
 今回私は「AKB48グループ」の魅力について紹介します

<AKB48グループとは>
 今日本で人気のある女性アイドルグループのひとつです
 複数の姉妹グループを合わせて「AKB48グループ」と呼ばれています
  ・AKB48:2005年12月結成。東京・秋葉原が拠点
  ・SKE48:2008年7月結成。愛知・名古屋の栄が拠点
  ・NMB48:2010年10月結成。大阪・難波が拠点
  ・HKT48:2011年10月結成。福岡・博多が拠点
  ・JKT48:2011年11月結成。インドネシア・ジャカルタが拠点
  ・SHN48:2012年12月結成。中国・上海が拠点
  (公式ライバルグループとして乃木坂46もあります)
 グループ全体を合わせると350人を超える大きなグループです

<AKB48のコンセプト>
 彼女たちの活動コンセプトは「会いに行けるアイドル」です
 週末ごとに全国各地で握手会が開催され、私たちファンは直接応援するアイドルに会って、応援の言葉や出演番組の感想を伝えることが出来ます
 これはAKB48グループが世界的に有名になった今でも変わりません

<AKB48グループの魅力・陽>
 アイドルグループとして、可愛らしく華やかなシーンがたくさん見られます。
 350名を超えるメンバーがいるので、きっと「好みのタイプ」が見つかるはずです
 ・ 曲 :AKB48グループは現在全体で1000曲を超える楽曲を持っています
      その全てが秋元康作曲です
      アップテンポな曲から泣けるような曲まで様々な楽曲があります
 ・衣 装:AKB48グループは衣装に非常にこだわっています
       一つの曲を歌う際に全員同じ衣装を着ることはありません
       東京ドームコンサートでは3日間のために800着用意して話題になりました
 ・露 出:AKB48グループは現在日本で最もメディア露出の多いアイドルグループです
      テレビ番組、雑誌、ラジオなどを通じて毎日目にすることが出来ます

<AKB48グループの魅力・陰>
 彼女たちの魅力は、テレビやコンサートで見せる華やかな笑顔だけではありません
 コンサートやテレビ番組の裏側の喜び、楽しみ、そして悩みや苦しみが印象的に映し出されています
 アイドルの涙を見て応援することで、ファンがよりアイドルに寄り添えるというコンセプトです
 (※下世話さはアイドルに不可欠!
 ・ドキュメンタリー:番組やDVDで使われるドキュメンタリー映像は
             ・練習中の苦しい姿
             ・人気のないメンバーの嘆き
             ・選抜を目指しメンバーと競う辛さ
             などが強調されています
 ・ 成長過程 :はじめはダンスや歌が下手だったメンバーが成長する姿
          人気のないメンバーが徐々に人気を得るのを応援する 、など、
          ファンがアイドルの成長過程を見られることが売りの一つです
 ・選抜総選挙 :最も有名なイベントは6月に行われる選抜総選挙です
          世間からの批判も多く、メンバー同士が競い合うため、心中は複雑です
          どちらかというとファンの心情は楽しさよりも必死さなので、陰です

<まとめ>
 AKB48グループは「かわいらしく歌って踊る」だけでなく、その裏側の努力や涙も見られることがこれまでのアイドルグループとの大きな違いです
 この裏側を見ることで、応援する気持ちが芽生える、というシステムが、AKB48グループをここまで有名にした理由の一つです
 これまでミュージックビデオや歌番組でのAKB48しか見たことがない!という方は、ぜひライブの裏側のドキュメンタリーを見てみてください。きっと見方が変わることだと思います。
# by m-seminar | 2014-08-26 00:35 | レジュメ(平成26年度入ゼミ生)