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ゼミ連絡用


by m-seminar

10月16日課題補足

高橋さんの言いたいこと
・いまこそ本当の意味での戦後が始まり、戦争/戦後責任が問われるべきである。
・責任とは基本的に応答可能性である。
・責任はそれを知った人すべてにすべてのことに関してかかってくる(普遍的責任論)。

大学生向けに発信する意味
・1990年代と2000年代の日本のメディアで語られる20代の若者とは
・正しい労働倫理を有しておらず、本質的にモラルが低い(今時の若者はけしからん)
・若者は日本の「失われた20年間」のコストを過剰に引き受けされられてきた犠牲者
前者の考え方はだんだん薄れてきている(2011年までは主)。若者世代は親の世代よりも雇用機会が失われており、非正規労働者となることで企業から搾取されているからである。
半分「怠け者」のレッテルを貼られたり、社会の犠牲者と位置づけられたりしている日本の若者だが、2011年3月11日の東日本大震災の後に東北地方へ出かけて復興支援に取り組む若者の姿がニュース番組で報道され、若者は決して怠け者・受け身・内向き・情けない人がすべてではなく日本の復興では若者が中心的な役割を果たす「べき」だという新たな期待が生まれた。しかし、期待はあっても若者は雇用に関する問題などさまざまな問題と格闘している。例えば、環境的・社会的により持続可能なワーキング・スタイルを実現するために、ほとんど何の資源も与えられなかった。そのため自らの社会を大改革する責任が再び若者自身に戻ってきた今、若者に向けてメッセージを発信しているのだ。

日本から日本を見る意味
・他国からの視点だと悪い面ばかり指摘されてしまう恐れがある。逆に我々日本人だけの目線で見ると、日本にとって都合の良い部分ばかりに目が行ってしまう。そのため、双方の意見を取り入れて改めて考え直してみる必要がある。

日の丸・君が代について
1990年に文部省が学校での式典に日の丸・君が代を義務づけたことによってこの問題をめぐって緊迫した議論が行われてきた。1998年には広島県の県立高校の校長が、卒業式での日の丸・君が代の取り扱いをめぐって、県教育委員会と県教職員組合との板挟みにあって自殺したという事件にまで発展した。そうした緊迫した状況がある一方、生徒たちは日の丸と君が代の歴史的背景すら知らされていない。日本の政治は国民世論の議論によって動くのではなく、政府の決めた方針を「国策」として国民に徹底させてきた。またこうした社会問題について学校の方針に従っていれば良いとしてきた教育現場の問題もある。
君が代のルーツは平安時代に編纂された「古今和歌集」の和歌である。明治のはじめに君が代が国歌として用いられることになった際、政府によって、天皇の治める世が末永く続くよう願う歌と定義され、学校やその他の場で、天皇の治世をたたえる歌として教えられるようになった。1892(明治25)年に当時の文部省の音楽教科書担当官が作った教科書にも「天皇陛下の万歳を祝う歌である」と書かれており、天皇制をナショナリズムの根幹にすえた戦前の政策によって、君が代は広く浸透していった。
日の丸・君が代は明治期に国旗・国歌として定められる。明治維新の後、新政府は中央集権的な国づくりをすすめ、国民に「日本人」としての民族意識を根づかせていくまた、天皇を新国家の中心にすえ、天皇制を国民の求心力とすることで日本人意識の形成を促進した。天皇という主権を持ち不可侵の聖なる存在を国家の中心にすえることで、国民の意識を統合し、同時に政府の権威を高めるという二重の役割を持たせた。そのため、明治期につくられた国歌は「君が代」という天皇制をたたえる歌となる。
一方、日の丸は江戸時代末期に薩摩藩の提案で日本の船に日の丸をかかげるようになり、明治初期に日本の船舶の国籍を表すものとされた。昭和初期から敗戦までのファシズムの時代に、日の丸と君が代は日本の国家主義と軍国主義の象徴となっていく。愛国心の高揚や尊皇の精神を高めるために日の丸と君が代は用いられた。学校では皇民化教育が行われ、天皇の臣民として天皇と国家のために命をささげることが務めとされた。また、出征兵士の送迎会では日の丸が振られ、君が代が斉唱された。そのため、この時代を経験してきた人たちには、日の丸や君が代に嫌悪感をしめす者が多い。また、日本軍によって侵略され、植民地支配を受けたアジアの国々では、日の丸や君が代は侵略者の象徴として受けとめられており、現在も不快感を持つ人たちが多い。 国旗や国歌が「自由・平等・博愛」や「民主主義」や「人民主権」といった普遍的理想を表している社会においては、政治的立場に関わりなく、人々が国旗や国歌によって表される理念へ敬意を示す場面が見られる。日の丸と君が代は戦前の天皇制ナショナリズムの普及徹底をすすめる政策の一貫として国旗と国歌が用いられたため、現在でも日本では、右翼は日の丸と君が代をナショナリズムの象徴として神聖視し、逆に左翼は敵視するという政治状況が生じている。

日の丸や君が代について、過去の歴史から抵抗を感じている人が大勢いるにもかかわらず、一方的に日の丸や君が代を強制するのは「思想の自由」に反している。
自分にとって当たり前のことが、必ずしも他人にとって当たり前だとは限らない。
この世に「あたりまえ」は存在するのだろうか?

http://www.ritsumei.ac.jp/ba/~kinukawa/ume.html
http://www.wochikochi.jp/relayessay/2012/03/311haisha.php
http://www.geocities.jp/machi0822jp/hinomaru.htm
http://www.ne.jp/asahi/box/kuro/report/hinomaru.htm
http://www.din.or.jp/~okidentt/hantaiha.html
http://knowledge.livedoor.com/3901
by m-seminar | 2012-10-22 00:02 | レジュメ(平成24年度入ゼミ生)