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ゼミ連絡用


by m-seminar

5月22日 課題

望月 美佳
P238 2行目から

戦争が激烈化するに従って、戦争末期の物資の緊迫の程度は林献堂のできるところではなかった。1944年9月、台湾重要物資営団の台中支部は、人を派遣して霧峰林家の庭園に行き、林献堂と長男の銅像を奪い去った。当局の要求は、総督樺山資紀に銅像を全て回収する、であったからだ。軍の武器を作り、「どうしてあえて拒絶することができようか」と家族を招いて銅像の前で記念撮影することしかできなかった。1943年末、食糧配給量が足りず、年収数万石の林献堂でさえも、なんと「昨夜炊く米がなかった」と記載があった。1945年2月小作農はやってきて、食べる米がないと不平をもらし、林は自分の食事を半分に減らされても「なお異議を唱えられない」と言い、小作農に我慢してサツマイモを食べるように頼むだけであった。
by m-seminar | 2012-05-25 09:20 | レジュメ(平成24年度入ゼミ生)